北畠神社
【アクセス】
【概要】
- 所在地
津市美杉町上多気1148
- 電話番号 059-275-0615
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- 駐車場 駐車場なし
- 支払方法 -
- Wi-fi -
- ペット -
【ご案内】
北畠神社は、南北朝時代から戦国時代の末期まで公家大名、戦国大名、また伊勢国司として隆盛をなした北畠氏の本拠であった館跡に建立された神社です。
過去には北畠氏の歴史研究のために発掘調査が行われ、当時の石積み跡や土器、調度品などが見つかっています。この時に、発掘されたものの一部は津市美杉ふるさと資料館に展示されています。
神社の境内には、日本三大武家庭園と称される庭園があり、荒々しく力強いながらも均整のとれた庭石、「米」の字を模されていると伝わる池は見る角度によって映し出す景色を変え、歴史を感じさせるほど厚く育った苔は柔らかく庭園一面を覆っています。秋の紅葉シーズンには、地元有志による庭園のライトアップも行われており(新型コロナウィルス感染拡大予防のため近年は中止されています)、普段見ることのできない幻想的な風景が楽しめます。
神社の裏山には詰城跡、奥に続いて本丸を構えていた霧山城跡があります。霧山城跡までのコースは急傾斜ながらも整備された土道は歩きやすく森林セラピーコースにも認定されています。(片道約1.6km)
2017年4月には北畠氏館跡、館跡庭園、霧山城跡が合わせて続日本100名城に認定されました。
近年では続日本100名城のスタンプや、霧山城跡の御城印を求めて訪れる方が増えています。
(参考)
北畠氏館跡は多気盆地のほぼ中央にあり、北畠神社境内を中心とする南北約200m、東西約100mの範囲です。西を山裾、それ以外の三方を川に挟まれた場所にあたり、背後の尾根上には詰城跡、さらに奥の山上には霧山城跡があります。
北畠氏館跡は、16世紀の初め頃に大造成が行われ、これを境に前期・後期に分けられます。前期の主な建物や石垣は方位を揃えて造られています。後期には現在とほぼ同じ地形となり、館跡南部にある庭園はこの頃に造られました。
大造成や庭園の造られたのは、北畠氏が南伊勢各地へ支配を広げて戦国大名へと飛躍する頃にあたり、北畠氏の勢力を象徴する一大事業であったのでしょう。
北畠氏館跡は、大きく二つの性格を兼ね備えていました。
一つは北畠氏という組織体の中枢という公的施設、もう一つには北畠家という当主の住まいとしての私的な空間があります。
庭園は接客の場であり公的な性格の強い施設であり、石垣も防御よりも館跡上段をより立派に見せるものなのでしょう。(参考文献 北畠氏館跡ガイド)続日本100名城 北畠氏 伊勢国司 北畠神社 霧山城跡 雪姫亭